トレードオン
prepo
小さな会社・個人事業の経営者に伝えたい7つの提言
マスコミの兵庫県齋藤知事へのバッシング一色の報道には少し違和感がある。なかでも知事のパワハラについては、本質的な検証がおろそかではないだろうか?
そもそも人はなぜ怒るのか?
「怒り」は、誰もが身を守るために備えている感情で、個々人の価値観から「こうあるべき」との想いが発端となり、思い通りにならなかったときに怒りが生まれる。「こうあるべき」という想いや観念は、これまでに受けてきたしつけや教育、経験してきた心情や事柄などによって形成されるため「べき」の基準は人によって当然異なる。アンガーマネジメントの専門家は組織内でのパワハラ防止には「べき」を共有することが大切と述べている。
齋藤知事は、おそらく5期20年間も続いた前知事時代の県政を変えることを県民に訴えて当選したことでしょう。県庁職員の「ベき」と斎藤知事の「ベき」は異なり、齋藤知事としては、指揮官が変わったわけだから、新しい指揮官の「べき」に従うのが当然との思いで登庁していたと想像できるが、実情はどうだったのだろうか・・・
古い話だが「長野県知事に当選した田中康夫さんに対し県職員幹部が受け取った名刺を折り曲げた事件」や「大阪府知事に当選した橋下徹さんが思わず議会で涙した」ことなどがそれと重なる。
怒りっぽい人でも四六時中起こっている訳ではなく、沸点を超えるにはそれなりの理由がある、おそらく一番は、何度言っても通じない場合だろう。
齋藤知事の「玄関の20m前から歩かされた」や「エレベーターのボタンを押すのが遅い」で激怒したという事例がよく報道されるが、この場面までの経緯無しにそれだけで人は激怒するだろうか?
※ここから先はあくまでも私の想像です。
斎藤知事が県庁職員の働く姿勢を「何としてもサービス業にしなければならない」と熱い思いで日頃意識改革を求めていたとしよう。そこでこの事例、斎藤知事から見るとあまりにも気配りや段取りに緊張感がなさすぎる、どうやって話したら君たちは自分たちの都合ではなく、県民に奉仕するサービスマンになってくれるのか!今目の前で知事の私にできないことが、普段県民の皆様へできるはずがない!これは看過できない!となって沸点を超えてしまったのではないだろうか・・・これはこれでで問題はあるが、斎藤知事からすると自分から怒っているのではなく、怒らされている感覚で、残念ながらこの関係がエスカレートしてしまい、許されないパワハラや内部告発も守旧派の恨み節とされ、あってはならない不幸な出来事にまで振り切ってしまった、とっても恐ろしい悲しい事態ではないだろうか。
知事と職員が本来しなければいけなかったことは「べき」の共有です。
マスコミは悲劇的な情況ををあおるのではなく、過ちを繰り返さないためにも、怒りの正体「べき」について冷静に報道していただきたいものです。救いは、全会一致で蓋をしてしまおうとする議会とは異なり県民へのインタビューから違った意見が聞かれることだろうか。
参考:労務管理者が学ぶ アンガーマネジメント 怒りの正体である「べき」を具体的に挙げ、職場で共有していく実践を(一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 藤田作樹氏)
*今日のお言葉
全員一致は否決 ピーター・ドラッカー